今年も旭化成㈱名誉フェローの吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞して、日本の技術レベルが高い水準にあることが常識になってきてノーベル賞受賞に驚かなくなっていませんか?
 吉野さんのインタビューを見ていると、笑顔がキュートで奥さんとの仲もとてもいいんだろうなぁと感じます。また、吉野さんの研究内容もリチウムイオン電池という現在の生活とは切り離せない身近なもので、細かな技術内容は知らなくても、ああ、あの技術ね?などと知ったかぶりできるところが親近感に繋がっているように思えます。

 さて、吉野さんのノーベル賞の対象となった技術ですが、特許として調べてみたところ、はじめて正極にコバルト酸リチウム(LiCoO2)、負極にカーボンと記載されているので、確信したわけではないのですが特許第2668678号「二次電池」(二次電池とは充電式電池の意味です。)ではないかと思います。出願日は1986年11月8日です。30年待ってのノーベル賞でした。

 しかし、この日には二次電池に関して怒涛の7件の特許出願がなされています。なぜか?
 よくよく調べてみると、最初に二次電池について出願されたのが1985年6月12日で、その出願の公開公報が発行される1年6ヶ月後が1986年の12月に当たるためと思われます。自分の発明でも公開されてしまうと公知(公に知られた状態)となり、その後に出願する発明は、公知になった発明に対して進歩していることが要求されます。
 そこで、最初の出願が公開されてしまうまでに関連する発明を出願してしまう方が確実に特許を取得することができると判断したのだと思います。
 また、少し専門的になりますので詳細には説明しませんが、同日出願とすることで先願主義の下、すべての出願を平等にコントロールしたかったのではないかと思います。
 いずれにしても、この頃既に旭化成もリチウムイオン電池の将来性を把握していて、有利な権利取得に組織的に動いていたと推測することができます。組織的な権利化活動によってリチウムイオン電池の基本的特許を押さえたことで技術者を含めて他社の追従をかわすことができ、そして、そのことが吉野さんのノーベル賞受賞の遠因として貢献したのかもしれません。

 しかしながら、企業内研究では費用対効果や収益性がより強く求められることから、企業勤務の経験があるものの、ほとんど大学で研究を行った他の二人の受賞者に比較すると、一層制約や苦労が多かったのではないかと思います。その制約の1つが企業の利益を守るための特許化ということもでき、その点で私自身の個人的な親近感もアップです。

出典:維新国際特許事務所メルマガ[維新電信 Vol.103] (一部メルマガ発信時から加筆修正)